ピンクのキャラものが好きだった私が、急に無色・無地を好むようにになった話
デザインの好みは、年齢を重ねるにつれ落ち着いていく人が多い。
昔はピンクの服、ミニーちゃんの持ち物ばかりだった友達は、23ぐらいからモノトーンやベージュの落ち着いたデザインのものを身に着け、好みのキャラクターも、ムーミンのような大人なキャラクターになっていた。
私は、20代後半に差し掛かってもマイメロディとピンクが好きで、なかなか趣味が変わらなかったため、少し焦りを感じていた。
このまま趣味が変わらずにイタイおばちゃんになったらどうしよう。。。と。
ヒョウ柄を好む大阪のおばちゃんを、後ろ指を指して笑っている場合じゃないと思っていた。
そんな感じで心配はしていたが、ミニマリストを目指し始めたおかげで、イタイおばちゃんにならなくて済みそうだ。
ミニマリストは、「無駄なものを排除して、より快適な生活を送る」というような考え方である。
この考え方が身についてきたため、最近は所有物一つ一つのデザインに対して、
「ここにこのデザインがあるのって何の意味があるんだろう?このデザインは、私の視界に入る価値があるのか?無駄なのではないか?」
と考えるようになった。そして、大体において無駄だと判断し、無地を選ぶ。
デザインがあると、視界に入る情報量が多くなり、無意識のうちにストレスになるのだと思う。
自分でも驚いたことは、PCや携帯待ち受けの選択の過程までもが、ミニマリスト思考になっていたことだ。
ロック画面にパンダの写真を設定する意味って、何なのか?
ロック画面が果たす役割は、時計とアプリの通知である。
それだったら、ロック画面に役目に徹してもらうため、無色無地にするべきなのではないか?
パンダの写真には、癒しの効果があるのかもしれないが、、
パンダの写真があることで時間と通知がクリアに見えなくなること、見るたび情報が多くストレスが蓄積すること、などなど、、
マイナスの要素の方が多いと思い、パンダとはお別れ。真っ白な無色無地の背景にした。
ピンク×マイメロ → ベージュ×スヌーピー といった感じで、段階を踏んで趣味が変わっていくのかな、と思ったが、いきなり無色無地を好むようになった。飛び級した気分だ。
ただ服の好み関しては、きっと、ミニマル思考を極めても無色無地を好きになることはない。
服の場合、どちらかというと人の視界に入るものだし、服のデザインには「自己表現」という立派な役割がある。
営業先では少しでも印象に残りたいので、私はこれからも柄物のシャツを着て、他の人と被らないようにしたい。